【SS】無に還る


暗い。視界が闇に支配されている。ここは何処。肌に感じる突き刺すような冷たさ。

聞こえる。

憎たらしい笑い声。

 

 

 

 

「魔女。お前はそのような格好も似合うのだな」
「…何のつもりですかこれは」

視界を遮るのは彼女のマント。仄かに情欲の匂いが混じる、赤く扇情的な布きれ。

「なに、ちょっとした暴れ馬の調教だ」
「誰が馬ですか。私は面長じゃありませんよ」
「面長の馬面だなどと誰が言うたか。まあいい。それより魔女。元々白いその体、寒さで尚も白うなっているな。熱が欲しいか?体の奥底から広がるような、甘き快楽の熱が」
「服が欲しいですね。貴女の熱など貰ったら、オマケで病気でも貰ってしまいそうですから」
「はっ。言いおるわ。やはり暴れ馬には調教が必要か」

拘束されて動けぬ体。這いずるぬめりは蛇のなめしか。

「雲。私を侮ってもらっては困りますね。私は時を操る魔女。貴女のそのちっぽけな無すら支配する、無限の軸を手にする魔女。私を拘束したからとて、貴女の好きに出来るとお思いですか?」
「御託はいらぬわ。逃げたいのならやってみせろ。…そう上手くはいかんがな」

蛇の拘束が強くなる度ずるずると皮膚が擦れる。
痕を付ける事に後ろめたさなど感じていないのだろう。雲の体から伸びる蛇は容赦なく体を締め上げてきた。
骨が軋む程に拘束を強めても、この体をそう簡単に好きにはさせない。
“魔女”にもプライドはあるのだから。否、“魔女”だからこそのプライドがある。

指の間から擦り抜けるような不安定な“雲”如きが、“魔女”を支配していいわけがない。“魔女”は偉大であり“魔女”は絶対。確立されたこの存在が、ふわふわと虚無に漂う“雲”などに支配されてはならない。

しかしなかなかどうして。
蛇を焼き払ってやろうとも、切り裂いてやろうとも思えるのに。

迷いなのか。戸惑いなのか。
この拘束を解き自由になったその先に、遠いその先には何が。
雲を拒んだ事が、どう時間を歪ませるのか。

「どうした魔女。意気込みの割に成果がでておらんな。………またいつものくだらぬプライドか?」
「………」
「一度鼻っ柱を折られ、二度屈辱を味わい、三度肉欲に溺れたお前がまだプライドなどという馬鹿げたものを掲げるのか?お前の体はもう“魔女”ではない。無と交わった闇のひと欠けだ」
「黙りなさい雲。私は“魔女”に生まれ“魔女”として生き“魔女”として終わる存在。例え何物かが混ざり入ろうと、私は“魔女”でなければならないのです」
「それがお前の存在証明になるとでも言いたいのか?益々くだらぬ話よ。存在など所詮形あってのもの。無くなってしまえばお前とて無としか言えぬ物になるというのに。何故そこまで形に固執する。形など不平等だぞ?誰にでも綺麗な形を与えてくれるわけではない。お前は身をもって知っているはずだろう?“魔女”であったからこそ虐げられた、醜き形の記憶を。“魔女”であったがために得る琴の出来なかった“愛”があったことを。恨めしかったであろう?まだ人であるお前が意識を支配していた頃は。“魔女”という形が恨めしくて堪らなかったであろう?形などいらぬもの。余計な物は捨ててしまえばよい。無は優しいぞ?全てに平等だ」
「平等…尚更興味がありませんね。平等なものなど手に入れる価値はありません。自分より優れたものだからこそ支配し手に入れる価値があるのです。私に必要なのは平等な無ではありません。醜く競い合う歪な不平等なのです」

言葉の裏側に蟠りがある。
この言葉を否定する影がちらつく。

本当は救いが欲しい?
現実は優しくなかった。だから今、目の前の無に飲まれれば過去の苦痛は掻き消える?

そんなはずはない。
時を操る力を得ても、過去は何も変わらなかった。
それがそんなに簡単に消えるのなら、そもそも“魔女”であった自分は何のために“魔女”でなければならなかったのか。

雲にその答えは出せない。
答えが出せないなら手など取らない。
差しのべられた手を払うことなど、今まで幾度となく繰り返してきた。

「…わからぬ奴だ。わしがお前を救うてやろうと言うのに。優しさが、愛が欲しいのだろう?受けることも与えることも出来なかった馴れ合いの感情が。わしが与えてやろう。お前にその愛とやら。形を捨て、わしと混じるがいい。苦痛などない。もう何度も経験したのだからわかるだろう」
「遠慮しておきます。言ったはずですよ。私は平等などいらないと。無は平等なのでしょう?なら、貴女の愛もまた平等。全てに平等な無の愛など、こちらから願い下げです。さあ、早く拘束を解きなさい。私は貴女の望む物など持ってはいませんよ。私は無など望まない。優しさなど、力の糧にもなりません」
「ふ、愚かな女だ。欲しがるくせにそれを隠す。欲しいくせに手を引っ込める。目の前にあるものを、みすみす逃して何がしたい?支配を望むお前が、欲しい物を見逃す真意はなんだ」
「………」
「怖いか優しさが。怖いか愛が。怖いのだろう失くすことが。怖いのだろう奪われることが。お前の中の“人間”が、まだ余計な感情をくすぶらせておるぞ?」

人間の感情など、雲は持ってはいないはずなのに。何故知ったような口で、私の“人間”を掘り起こす。
壊したいの私を?壊したいのね私を。壊してくれるのね私を。

こんな不完全な“魔女”なら、壊してくれて構わない。
結局自分さえ操れないのなら、もういっそ、無に還ろう。

 

 

 

 

 

 

「覚悟は、出来た?」

 

 

 

 

 

 

鼓膜をくすぐる憎らしい声が。
肌に食い込む長い爪が。
生々しく感じ取れる欲にまみれてたぎる熱が。

 

外も中も壊していく。
全て、無になる。

彼女の中で。

 

 

 

 

 

 

 

 

アソビハオワリ